人類のもっとも偉大な3つの発明はなにか 文字、お金、農業

人間が発明した物の中で最も偉大なものは何でしょう。いろいろ思いつくものがあると思います。インターネットとか、コンピューターとか、自動車、電気、蒸気機関、印刷機、紙などなど。音楽とか、詩とか、料理とか これもう~んなるほど、偉大な発明かもしれません。

人類の三大発明と言われるものは、火薬、羅針盤、活版印刷です。しかし、私に人類にとって最も偉大な発明を3つ挙げろと言われたら、迷うことなく次の3つを挙げたいと思います。

それは、
「文字」、「お金」、「農業」
の3つです。

なぜなら、この3つこそが人類の生き方を根本的に変えてきたからです。
では、この3つの発明がなぜそんなに偉大なのか。
簡単に言えば次のようになります。

農業は原始時代を終わらせた
文字は文明を作った
お金によって世界中の人々が協力し合うようになった

ではそれぞれ解説していきましょう。

農業:原始時代を終わらせた

農業の一番すごいところは、ずばり原始時代を終わらせたということです。

人間はサルから進化したと言われますが、どこからサルでどこから人間かの境はあいまいです。ヒト属がチンパンジーから分かれたのが200万年から1,000万年前。そのヒト属の中で、私たちの種族であるホモ・サピエンスが生まれたのが20万年から180万年前。ここでは取り敢えず切りのいいところで100万年前としておきましょう。

いつから農業が始まったのかも諸説あり。1万年前から2万年前と言われます。つまり、人類が生まれた100万年前から今までの期間の90%が農業のない時代だったということ。

農業が始まる前、人類は狩猟や採取で食料を得ていました。そのとき人類は食料を得るために毎日ジャングルやサバンナの中を歩き回って食料となる獲物や木の実、草の実などを探さなければなりませんでした。

食料は広い範囲に散らばっていたので、人類が生きていくためには広い面積が必要。だから人類は家族や部族単位の少数で生活していました。なぜなら人口が増えればそれだけたくさんの食料が必要となり、その食料を探しに遠くまで行かなければなりません。人が歩く距離には限界がありますから、人口が増えてくれば、集落が分裂して、一部が新たな土地に移って行ったことでしょう。

農業はどのようにして発明されたのか。神話によると、神が死に、その体から農作物が生えてきた。あるいは、神の住む天から神が人類に持ってきて与えたという二つの系統の話があるようです。もちろん、実際には神ではなく、古代人の中のだれかが発明したのでしょう。

米や麦などの穀物は自然状態で生えていたのを最初は採取して食べていた。しかし、よく観察すると種が地上に落ち、落ちた種から芽が出る。その芽が成長するとまた穀物を採取できるようになる。ということを古代人は知っていたはずです。

そこに発明家が現れた。かれは、こぼれ種で自然に穀物が育つのを待つのではなく、人為的に種を蒔き、その成長を管理し、成長したら収穫するというサイクルを考えついた。これが農業の発明です。今ならノーベル賞級の発明。

農業が発達すると、狩猟や採取に比べて比較的狭い面積で、安定的に食料の生産が可能となり、その狭い範囲に多くの人が住むことができます。その結果、次第に集落の人口が増えていきました。特に農業に適した土地があると、そこに人口が集中していくことになる。

いままで家族単位、親戚単位で生活していた人類が、ここで初めて他人と一緒に住むという未知の生活に踏み込むことに。また、農業は互いに力を合わせて作業していくことになり、そうすると連帯関係が生まれる。それとともに、役割分担ができ、やがて支配するものと支配されるものが分かれていった。

また、農作物は貯蔵が可能で持ち運びができます。これはいいことなのですが、やがて収穫された農作物の奪い合いも起こり、土地争いも起こり、これを管理するために決まり事や法律ができていきました。

農業が発明されることによって、社会という物が生まれ、人類は原始時代に終わりを告げることになったのです。

文字:文明を作った

文字の一番すごいところは、ずばり文明を生んだということです。

文字がない頃、人間は様々な方法で出来事を記録に残そうとしました。それは最初はラスコーの壁画のような絵だったのでしょう。やがて絵が簡素化されて文字となっていった。最初に発明された文字はシュメール文字(楔形文字)と言われます。それは6000年くらい前のことでした。

原始時代、個人が経験で学んだことは自分の子供に教える程度だったでしょう。弓矢の作り方とか、どこに行ったら果物がたくさん取れるかとか。子供は親の経験を学び、それに自分の経験を付け加えて、すこしずつ知識が増えていきましたが、人間の記憶には限界があります。忘れてしまうこともあったでしょう。

驚くべきことですが、古代ギリシャの偉大な哲学者ソクラテスさんは「文字は、その内容を知っている人に知識を思い出させる役割しかなく、それ以外には全く不要である」と言ったそうです。

そして実際に、彼は自分の哲学を文字で残していません。だから、いくらソクラテスさんがどんなに偉大でも、弟子たちがソクラテスの言葉を文字にして残さなければ、この哲学者の業績は全く後世に伝えられていなかったことでしょう。

同じような話が、ある昔話として伝わっています。
ある日、神が天から降りてきて、ある国の王様にお前の国に素晴らしい物を授けよう。と言いました。
「それは文字というもので、この文字を使えば、記憶に頼らず、様々なことを記録に残しておくことができる。とても便利な物じゃ」
そうしたら、王様はこう答えたそうです。
「いいえ、その文字というものは、私の国ではいりません。お断りします」と
驚いた神様が聞きました。
「それはなぜじゃ」
王様はこう答えたそうです。
「もし文字というものを国民が使い始めると、国民は文字に頼って物事を覚えなくなってしまいます。そうなると国民は頭を使わなくなるので、みんな馬鹿になってしまいます。国民を馬鹿にしてしまう文字というものは、私の国ではいりません」と。

しかしながら、文字が発明されたことによって、人間が馬鹿になるどころかどんどん利口になっていったのは疑う余地がないでしょう。

文字の効用は、いくつかあります。まず、知識の蓄積ができること。ある人の経験を記録に残すことによって、その経験がどんどん蓄積されて行きます。また、過去の人や遠く離れた人との知識の伝達、つまり時空を超えたコミュニケーションが可能となります。これによって昔のことや遠く離れた場所の失敗や成功と言った経験を学ぶことができ、また過去の知識に新しいアイデアや知識を積み重ねて、さらに知識を増やしていくことができます。

もうひとつ、文字の効用として見落とされがちなのが、文字は考える道具になるということ。人間は単にイメージで物を考えるだけではなく、実は複雑な思考をするときは言葉を使っているのです。「ああなって、こうなって、ああだから、こうだ」など、私たちは言葉で考えています。

この時、単に頭の中で考えるだけでなく、それを文字として書き出してみると、より思考が鮮明になり、論理的に、筋書立ったものになり、さらに文字を通して他の人の意見を聞くこともできます。

そして今は、インターネットの時代。文字を通じて世界中の人たちが知識や考え方を共有することができます。これは大変な事です。これからも人類の知恵や知識はどんどん蓄積していくことになるでしょう。

ところで、私たちが過去を探るとき、文字のある過去と文字のない過去では情報量が全然違うことに気づきます。ひとつの例として、「邪馬台国」について。文字のなかった日本人には残念ながら邪馬台国の記憶がありません。しかし、文字を持っていた中国には記録がある。そんな具合です。

文字のある過去が歴史学。文字のない過去が考古学という分け方もできます。つまり、歴史とは文字ができてからの人類の記憶。それ以前の出来事については人類にはほとんど記憶がなく、考古学として推定するしかない領域と言うわけです。

ところで文明とは何でしょうか。デジタル大辞泉によると文明とは「人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態」を言うそうです。人知すなわち人の知識。それが蓄積されて生活が豊かになった状態を文明というのなら、その知識の蓄積を飛躍的に推し進めたのが、文字の発明でした。したがって、文字が文明を作ったということができると思います。

(インカ帝国には文字がなかったと言われていました。しかし、実はキープという紐のようなものが情報を記憶、伝達するために使われたようです。つまり紙や粘土ではなく紐が文字だったというわけです)

人類が生まれたのが100万年前。文字が生まれた6000年前が文明の始まりと考えると、人類が文明を持った期間はその0.6%に過ぎないことになります。

お金:世界中の人々が協力し合うようになった

お金の一番すごいところは、世界中の人たちの協力体制を作ったということです。

お金は富を表す情報です。そして、それが形になったものが貨幣です。
貨幣の始まりについては諸説あります。貨幣がなかったとき、交易は物々交換で行われましたが、このとき、交換したいものがなければ、とりあえず美しい玉や金属のような嵩張らないものに交換しておいて、次の物々交換のときにほしい物に取り換えた。これが貨幣の始まり。

あるいは、羊などの資産を移転するときに記録のためにトークンと呼ばれる粘土や石のかたまりを使った。これが貨幣になったという説もあります。
ちなみに、世界最古の貨幣は紀2700年ほど前にトルコのリュディアで発明された「エレクトロン貨」だと言われています。

貨幣には3つの機能があると一般には言われています。ひとつは、物やサービスの交換をスムーズにしてくれる交換機能。次に、物やサービスの価値の尺度となる価値尺度機能。最後に財産を保存する価値保存機能の3つです。

でも、お金の一番すごい機能は、そんなことではない。と声を大にして言いたい。お金は世界の人々が力を合わせて仕事をする道具なのだと。

仕事というのは、ひとりで何もかもやるより、分担して行った方がはるかに効率的になります。例えば、次のような昔話のように。

一休さんがまだ小僧のころ。あるお寺に預けられました。その寺には既に数人の小僧さんたちがいました。ある日、和尚さんは、一休さんや他の小僧さんたちに寺の掃除をするように命じました。小僧さんたちは箒を取り合ったり、いちど掃除した所をまた他の人が掃除したり、だれも水を汲んでこないので雑巾がけができなかったりで、とても時間がかかりました。それで一休さんがみんなを集めて、それぞれの役割分担を決めました。あなたは箒で掃く人、あなたは水をくむ人、あなたは雑巾がけをする人と言う具合。そうすると寺の掃除があっという間に終わってみんなびっくりしたという話です。めでたしめでたし。

この昔話は仕事を分担してやれば、ばらばらにやるより効率が上がるという話です。しかし、数人の小僧さんならともかく、100人も200人もの人がいるときはなかなか分担が決められません。一休さんがいかに賢いと言ってもそれは無理でしょう。

ところがお金を使うとこれが自然にできてしまうのです。100人や1000人ではなく数百万人でも数億人でも、いえいえ、世界中の人々が参加する巨大な分業体制が勝手にできてしまいます。これは本当にすごいことです。

お金のない社会を想像してみてください。例えば衣食住について。もしお金というシステムがない場合、あなたは自分で食料を生産し、自分で着るものを作り、自分で住む家を作らなければならなりません。

お金というシステムがあるから、スーパーに行って食品や着るものを購入し、大工さんに家を建ててもらったり、家賃を払ってマンションに住んだりすることができるわけです。

それができるのは私たちの社会では、食品を作る人、衣服を作る人、家を作る人が分業体制になっていて、その分業がお金というシステムで成立しているからです。
食料を作る人は食料だけを作っていればいいし、家を作る人は家だけを作っていればいい。そのための道具もそろえることができるし、そのための技能も身に着けることができる。

そうしてその関係は世界中に広がって、例えば農作物は自国で作るより、農作物を豊富にできる国から輸入した方が効率的だろうし、自動車を作るのが得意な国はそれを輸出して、外貨を稼ぎ、その外貨で食料を購入する。

それぞれの国で自動車や農作物をそれぞれ独自に作るより全体で見れば、とっても効率的になります。こうやって自然に世界中の人たちが力を合わせて分業しているのですが、それはお金というシステムがあるからです。

みんながお金持ちになりたいと思う。お金持ちになるためには、基本的には安い物を高く売るしか方法はありません。安い物を作るために、人々は資源の無駄遣いを省き、如何に効率的に物を作るか考えます。高く売るためには、その物を高く買いたいと思わせるような優れた品物を作ろうとします。

世界中の人たちがそう考え、努力する。これによって、世界は豊かになって行く。みんなが少しずつ欲張りになって努力する、知恵を働かせる。これによって世界が豊かになって行く仕組みを自然に作り上げているのが、お金と言うシステムです。

いやいやもっと偉大な発明がある?

人類の最も偉大な3大発明は「文字」、「お金」、「農業」であるというのが、私の意見です。その理由は上に述べたとおりです。いやいやもっと偉大な発明があるという意見をお持ちの方は、コメント欄に記入しておいてください。楽しみにしています。

2022年3月29日

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