少女像(慰安婦像)に花束をささげよう

人間は自分が他人より優れていると思う動物

人間はだれでも、自分は他人より優れていると常に思っている動物である。実際に優れていなくても、そう思い込む。これは人間だけでなく、すべての動物がそうであり、自分が優れていると思うからほかの個体を攻撃し、勝てば自分の遺伝子を子孫に受け継ぐことができる。そうやって、環境に適した遺伝子が残され、動物は進化してきた。

人間は現在のところ、最も繁栄している動物であるから、特にこのように自分が優れていると思う性質が強いのだろう。ただ、人間がほかの多くの動物と異なるのは、たとえ自分自身が優れていなくても、自分の属する集団が優れていると思うことによって自分が優れているかのように錯覚する特性があるということである。

例えば、自分の支持するスポーツチームが試合に勝つとそれで自分が優れているかのような気分になってしまう。オリンピックで日本の選手が金メダルを取れば、自分が金メダルを取ったような気になる。あなたも、そして私もそう。

でも少し考えてみれば分かることだが、金メダルを取ったのはその選手に才能があり、その選手が血の滲むような努力をして獲得したものである。あなたや私に才能があるわけでもないし、努力をしたわけでもない。私たちは単にテレビで観戦していただけなのである。にも拘わらず、私たちは自分が優れたアスリートであるかのように錯覚してしまう。

スポーツならそれでいい。私もそれで楽しんでいる。しかし、例えば宗教至上主義者のように自分の信じる宗教は、ほかの宗教よりも優れていると妄信的に信じ込んでしまう場合はどうであろうか。かれらは、自分の信じる宗教が唯一正しいと信じて、他の宗教-彼らから言わせれば間違った宗教-の施設や遺跡を破壊したり、他の宗教を信仰している者を殺したりするのである。

もっと酷いのは、自分の民族が他の民族よりも優れていると思い込むことである。民族浄化という身の毛もよだつような言葉を使って、ほかの民族を皆殺しにしようとする事例も数多くある。

これは先ほど述べたように、自分の属する集団が優れていると思い込むことによって、自分は優れていると思い込む本能を満足させているのである。さらに悪いことに、マスコミがそれをたきつけ、政治家はそれを利用して人民を自分の方に引き付けようとする。放っておくと、人間は自分の属する集団が優れていると思い、他の集団を排除しようとする。ポピュリズムと呼ばれる現象はそのひとつの現れであろう。

最近の日本と韓国の関係は最悪の状態にあるが、この問題もそのような人間の特性が表れていると考えられる。日本の人は自分の所属する日本という国が正しいと思い、韓国の人は自分が所属する国が正しいと思う。

それは、冷静に考えて正しいか、間違っているかを判断しているのではなく、単に自分がどっちの集団に属しているかで自分の集団が正しいと判断しているのである。そうなると、本当の判断ができなくなり、どんなことにも理由をつけて自分の集団が優れていると思い込み、理屈をこじつけてしまうのである。

最近の日本のマスコミを見ると、韓国たたき一色である。まるでマスコミがネトウヨにでもなったみたいに見える。もちろん、これは日本のマスコミだけでなく、韓国のマスコミも同様であろう。互いに相手の悪口を言い、互いにたたき合う。それに政治家が乗って自分の人気を取ろうとする。

日本にとってみれば、韓国の話は全てウソ、コジツケ、約束違反と写るし、韓国にとってみても、日本の方が加害者で、責任があるにも拘わらず認めようとしないと主張し、互いに相手の主張を聴こうとしない。冒頭に述べたように自分が属する集団が優れているという思い込み、事実を冷静に理解するということができなくなっているのではないか。

ここでは敢えて日本を批判してみたい。なぜなら日本のマスコミの韓国たたきには耳にタコができた。もう聞きたくないということある。

まず、被害者のことを考えよう

慰安婦問題についての日本の立場を言えば、すでに解決済みの問題ということであろう。すでに謝った、お金も出した。前の大統領の時に条約を結んだじゃないか。お金を出したから、これで終わりにしよう。今後一切、この話は持ち出さない。と約束したはず。

ところが、大統領が代わると、そのような約束などなかったと言い出す。少女像を大使館前に設置して、また日本が悪い、謝れという。何度謝ればいいのか、また金をせびりにくるのか。というのが日本の考え方であろうし、またそれも事実であろう。

しかしながら、日本側は大事なことを忘れていないだろうか。それは元慰安婦という被害者がいるという事実である。確かに日本は謝った、お金も出した。でも彼女らが被害者であるという歴史的な事実は消えないのである。

慰安婦は業者が行った事であり、日本政府が行ったことではないとか、ちゃんと給与も支払われていたとか、いろいろなことを日本側は言う。また、慰安婦についてはその全貌が明らかにされていない部分もある。

しかしながら、多くの元慰安婦にとって、強制連行であろうと、親から売られたのであろうと、だまされて連れていかれたのだろうと、自分らの意に反して戦場に送られ、日本軍兵士の性的欲求を満たす行為をさせられた。暴力を振るわれた元慰安婦も大勢いる。彼女らもまた、戦争の被害者なのである。そのことを忘れていませんか。

どんなに日本側があ~だ、こ~だと主張しようと、この被害者がいるという視点がすっぽりと抜け落ちている。被害者に対する同情とか思いやりとかが全く抜けた冷たい議論だけが日本側の主張である。韓国を非難する日本のマスコミも元慰安婦という被害者がどんなにつらい目にあったかを指摘する論調はほとんどない。

もう謝ったからいいじゃないか。いつまでも過去のことにしがみついていずに、未来志向で行こうぜ。といのは日本側の論点である。確かに謝った、未来志向も結構である。しかし、被害者を忘れていいということにはならない。被害者のことは忘れずに、かつ未来を志向してもいいじゃないか。

少女像に花束をささげよう

ここからは私の視点である。

まず、彼女らを悲惨な目に合わせたのは、私ではないし、あなたでもない。それは当時の軍部や政府がやったことであり、またそれを当時の日本国民も軍部や政府を支持していた。だから慰安婦という被害者を生んだ責任は当時の大人たち、つまり私たちの親や祖父母である。

戦後、日本は別の国に変わって、その後に私たちは生まれた。したがって慰安婦問題は私たち戦後の人間がやったことではない。だから、そのことについて韓国から指摘されても、本当は恐れることは何もないのである。しかしながら、私たちは慰安婦について非難されると、まるで私たち自身が非難されたように感じ、抵抗感を覚える。

これはオリンピックで日本選手が金メダルを取ったとしても、それはその選手の行いであって、私たちが努力したものではないという、冒頭述べた比喩と同じである。慰安婦問題は軍部や当時の政府が起こしたことであり、私たちの世代が起こしたことではない。にも拘わらず、私たちは慰安婦問題を韓国から非難されると反論してしまう。それは私たちが属する集団である日本という国が批判されたと感じるからであろう。一方、韓国の人たちは韓国に生まれたというだけの理由で韓国側の主張を支持する。

つまり、私たちは日本という集団に属しているから、あるいは韓国の人たちは韓国という集団に属しているから、それぞれの集団を非難されると、ほとんど自動的に反発してしまい、事実を冷静に判断できなくなってしまう。

慰安婦問題は私たち(の世代)が起こした問題ではない。しかし、私たちのやるべきことは、このような問題を親や祖父母が起こしたことについて、いやかもしれないが、その事実をちゃんと認識し、親や祖父母のやったことを悪いと判定し、今後同じことが起こらないようにすることなのである。

そのような気持ちがあれば、少女像をむやみに忌避する必要はない。むしろ韓国の人々と同じように、少女像を尊重し、例えば韓国の人たちと一緒に日本政府も花束をささげてはどうだろうか。

※ただし、ここで私が言っているのは、元慰安婦に対して新たに損害賠償や謝罪金を支払えと言っているわけではない。(歴代の韓国大統領も賠償問題は終わっているという認識だったはず。)

もう金を払ったから終わったことだ。少女像を撤去しろという態度を批判しているのである。むしろ少女像と向き合い、なぜこんな悲惨なことを私たちの親や祖父母の世代は行ったのか。ということを韓国の人たちと一緒に考える機会にすべきではないだろうか。

過去を隠すのではなく、悲惨な実態を明らかにし、元慰安婦たちをねぎらい、今後、同じようなことを起こさないようにすること。日本は慰安婦問題をなかったことにしたいかもしれないが、また、その問題を掘り起こすことは辛いかもしれないが、むしろこれによって日本という集団が世界で尊敬されるようになるのはないだろうか。

こじれにこじれた日韓関係を修復する第一歩として、日本国政府が少女像に花束をささげてはどうだろうか。そうすれば、少女像がどこに設置されようが恐れることはない。

2019年10月1日

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