タカギチはよく海外出張をしているが、きっと英語はぺらぺらなんだとお思いの方はいらっしゃらないだろうか。いやいや私の英語力は恥ずかしいほどプアーなのだ。ただ、経験と度胸でなんとか旅を続けている。だから冒険旅行になってしまうわけなのだが。
最初に海外出張を命じられたのは、もう30年以上も前になる。初めてアメリカ本土に行き、ともかく英語しか通じないということを痛感した。飛行機のアナウンスも看板も、何かの注意書きも、ホテル内の表示も、当たり前のことながら全部英語だ。
英語が達者な先輩に引っ付いて、何がどうかっているのかわからないまま仕事?を続ける日々。ホテルで朝、目覚めると廊下から聞こえる人の話す声も英語。あ~、今日も英語漬けの一日かと考えると恐怖さえ覚えたものだ。
出張の最終日、サンフランシスコで先輩から、最終日だから一人で観光にでも行ってこいと言われ、ひとりでサンフランシスコの街をうろうろと歩いていた時、交差点でひとりのご婦人から声を掛けられた。どうも道を聞かれているようだが、とんと意味が分からない。何を言っていいのか。もごもごと口ごもっていたら、そのご婦人、変な顔をして立ち去って行かれた。
何とも情けない。これだけ中学、高校と英語を勉強し、大学や大学院では英語の文献を読んできたのに、実際には英語の道案内もできないじゃないか。すっかり自信を失ってしまった。
いや、そもそもである。サンフランシスコで米国人が、どう見てもアジア系としか見えない人間に道を尋ねるか。日本ならそんなことはしない。道に迷っても白人や黒人に道を聞くことはまずないだろう。おかしいじゃないか。と恨んでみても、とっさに英語の出てこない自分がつくづく情けない。
2回目に海外出張したのは、それから1年ほど経ってからである。行先はまたアメリカ。また英語で訳の分からない仕事をしなければならないのかと思うと胃が痛くなる。
でも、道を聞かれたときの返答くらいできないといけない。それで、もし道を聞かれたら「アイム トラベラー(私は旅行者です)」と答えることにした。道を聞いた方は旅行者に聞いても分からないだろうと納得してくれるはずだと考えたのだ。
そして、遂にその時が来た。またサンフランシスコ。(サンフランシスコでは日本人をみかけたら道を尋ねなければならないという決まりでもあるのだろうか)
「あのー。すみません。ロンバートストリートはどっちですか。」という声を聞いた。もちろん英語である。振り返ると米国人のご婦人が立っておられる。後ろにはご主人とほぼしき人がニコニコ笑いながら立っている。
早速、私は言ったね「アイム トラベラー」と。そうしたら、相手も答えた「私たちもよ」。予想しなかった展開だ。仕方ないのでポケットからガイドブックを取り出して地図を見せた。その日本語の地図をみて、彼女は「ファンタスティック(素敵!)」と叫んだね。
ロンバートストリートのくねくねした道を地図で指さし、あっちの方だと方角を示したら、彼女らわかったわかったとうなずいて、サンキュー、サンキューと言って立ち去って行った。これだけのことなのだけど、ずっと気が楽になった。「アイム トラベラー」は思った効果をあげなかったけど、とにかく通じた。本当に気が楽になったのだ。
それから不思議なことに、海外を旅するとよく人に道を聞かれる。どうしてかは分からないが、大体、海外に行くと1回や2回は道を聞かれる。伝道師に向いているのかもしれない。
特にアメリカは様々な人種が集まっているので、相手が白人だろうが、黒人だろうが、アジア人だろうが、見境なく聞いてくる。一度、タクシーが止まって運転手から道を聞かれたことがある。今はカーナビがあるのでそんなことはないだろうが、タクシーの運転手に分からない道を外国人の私にわかるはずがない。
人種のるつぼと言えばブラジル。ブラジルでは道を聞かれるだけでなく、いつも何かを話しかけられる。もちろんポルトガル語なので何を言っているのかわからないから黙っていると、だんだん相手の機嫌が悪くなってくる。それで覚えたポルトガル語が「ノンポルトガレ(ポルトガル語できません)」だ。この魔法の言葉を唱えれば、かれらのおしゃべりはぴたりと止むのだ。
ベトナムでは、観光にやってきた欧米人から道を聞かれることがある。ベトナム人と同じような顔立ちをしているのでベトナム人と間違えられているのかというとそうではなく、かれらは日本人と理解した上で聞いてくるようだ。
ハノイ駅で時刻表を見ていたら、ベトナム人から声を掛けられた。もちろんベトナム語なので何を言っているのかわからない、多分、どこどこ行きの列車は何番ホームに行けばいいのかとか聞いているのだろう。
大きく手を振って「アイムノット ベトナミーズ(私はベトナム人じゃありません)」と言ったら、お前はベトナム人じゃないのかと怪訝な顔をされて立ち去って行った。
でも、ベトナムの市場に行けば私が日本人であることは簡単に分かるようだ。日本語で「おにーさん」とか「しゃっちょさん(社長さん)」とか声を掛けられる。これ安いよとか、これ美味しいよとか、いやいやいらないというと「ばかー」という返事が返ってくる。失礼な話だ。
ただ、日本人でも現地人と間違えられる人がいるようだ。日本人だけ数人で歩いていると、現地の人からカタコトの日本語で話しかけられるのに、その人にだけは現地の言葉で話しかけられるという。現地人のガイドか何かと間違えられるらしい。こうなると海外旅行の達人である。尊敬してしまう。
あるとき、シンガポールのボタニガルガーデン(植物園)に行ってひとりベンチで休んでいると、日本人のツアーと思しきおば様たちの一群が近づいてきた。そのおば様たちの一人が、おそるおそる私の方にやってくると「ほや いず なんばーすりーげーと(第3ゲートはどこですか)」とおっしゃる。どうも現地人と間違えられたらしい。大変光栄なことである。
近くに園内を示す地図があったので、それはこっちの方ですよと、できるだけ分かりやすく英語で教えてあげた(日本語でもよかったのだけれど)。彼女らはサンキュー サンキューといって、なんばーすりーげーとの方に立ち去って行かれた。人助けをするのは気持ちのいいものだ。
2021年9月23日