2050年のカーボンニュートラルに向けてSAFの開発が世界中で加速
2015年に採択されたパリ協定以降、気候変動対策として世界的に脱炭素化が進められている。発電所は火力発電から再生可能エネルギーへと移行し、自動車は再生可能電力を使う電気自動車へと移行しようとしている。しかし航空機については電気飛行機というわけにはいかない。電気で飛ぶためには機体内に電気を蓄える必要があるが、蓄電池はとにかく重いし、蓄えられるエネルギー量も限られる。水素を燃料にしようという話もあるが、これは技術的なハードルも高く、まだ実用化されていない。
そこで活用が期待されているのが、持続可能航空燃料Sustainable Aviation Fuel 略してSAFというものだ。SAFは今までのジェット燃料とほとんど同じ性能を持ちながら、燃やしても空気中のCO2を増やさないという地球に優しい燃料である。
SAFのいいところは、いままでの機体や流通インフラがほぼそのまま使えるという点である。電気や水素なら航空機を動かす仕組みそのものを変えなければならないが、SAFなら今使っている航空機のエンジンや機体はそのままで、燃料だけを変えるだけでいい。今までの燃料貯蔵タンクや輸送インフラのようなお金のかかる設備もそのまま使えるから、新しく構築する必要もない。航空業界では、すでにSAFの試験的な運用が始まっており、2030年頃からその使用が本格化すると予想されている。
ではSAFとはどんな燃料なのか。どんな原料を使ってどのように作るのか。今のところ様々な方法が提案されており、群雄割拠状態、どれが将来実用化されるのかわからない状況にある。開発者の間で熾烈な競争が繰り広げられている真っ最中なのだ。
ASTM D7566のアネックスでSAFの今がわかる
では具体的にどんな技術が開発されているのだろうか。SAFの開発者は米国のASTMという機関に申請して、ジェット燃料として使用することを認めてもらう必要がある。ASTMは承認したジェット燃料をASTM D7566という規格のアネックス(付録)として公表しているから、これを見れば、どのようなSAFが開発され、少なくとも実際に使用可能な技術は何なのかが分かる。
ただし、指摘しておきたいのは、ASTM D7566の題名はStandard Specification for Aviation Turbine Fuel Containing Synthesized Hydrocarbons(合成炭化水素を含む航空タービン燃料の標準規格)であって、持続可能という文言はどこにも出てこない。つまり、石油から作られた従来のジェット燃料に対して、それを代替する合成燃料の規格という意味であり、必ずしも持続可能なジェット燃料の規格というわけではない。
持続可能かどうかはその開発者や製造者が証明する必要があるだろう。といってもこの規格に合格しなければ、実際に航空機の燃料として使用することはできない。現在、ASTM D7566には以下の表に掲げるようにアネックス1からアネックス7まで7種類の合成燃料が承認されている。ひとつずつ、やや詳しく説明していきたい。
ASTM D7566のアネックスとして記載された合成ジェット燃料
アネックス1 フィッシャー・トロプシュ水素化処理合成パラフィン系灯油
フィッシャー・トロプシュ(以下FTと略す)とは、一酸化炭素(CO)と水素(H2)から炭化水素を作り出す化学反応のことである。炭化水素というのは炭素と水素からできた有機化合物のことで、石油や石炭、天然ガスは炭化水素であり、石油から作り出されるガソリンや灯油、ジェット燃料などの石油製品も、もちろん炭化水素である。
FT反応の原料は一酸化炭素と水素だが、これは石炭から作り出すことができる。石炭を1000℃から1600℃程度で蒸し焼きにすると、一酸化炭素と水素が混ざったガスが出てくる。このガスを合成ガスといい、昔は都市ガスとして使われていた。この合成ガスから不純物を除去した後、コバルトや鉄を成分とする触媒を使って反応させると、炭素と水素の化合物、つまり炭化水素ができる。これがFT反応だ。
石炭→合成ガス(CO+H2)→(FT合成)→炭化水素(石油)
つまり、FT反応を使えば、石炭から石油を作り出すことができる。実際、第二次世界大戦中、ドイツは石炭を原料としてFT反応でガソリンを作り、軍用機の燃料として使っていた。
炭化水素にはいろいろなタイプがあるが、FT反応でできる炭化水素はパラフィンと呼ばれる種類で、みなさんご存知のパラフィンワックス。つまり蝋だ。ただ、パラフィンワックスは炭素が20個以上も含まれる大きな分子だから、常温では固体になっている。だからこのままではジェット燃料にはならない。
そこで水素化分解という方法でパラフィンワックスを分解して、分子を小さくして液体にしてやる。これが「水素化処理」の意味だ。水素化処理によって炭素の数が10個から15個程度になると、これはちょうどストーブの燃料として使うお馴染みの灯油と同じになる。これが「パラフィン系灯油」の意味だ。
つまりアネックス1の「フィッシャー・トロプシュ水素化処理合成パラフィン系灯油」というのは、一酸化炭素と水素を原料にしてFT反応でパラフィンワックスを作り、それを水素化処理で分解して作った灯油という意味である。
ちょっと待ってよ。灯油の作り方は分かった。でもほしいのは灯油ではなくてジェット燃料でしょ。という疑問を持たれる方もおられるだろう。その理由は簡単で、実は灯油とジェット燃料とは化学的にはほぼ同じものなのだ。だから灯油を作ればジェット燃料を作ったのと同じことになる。
ジェット燃料と灯油は同じと聞いて驚かれた方もおられるかもしれないが事実である。ただ、ジェット燃料と灯油は用途が違うから、要求される品質が少し違っている。その違いは、まず、ジェット燃料は低温でも結晶が析出しないこと。次に熱による変質したりしないこと。燃えた時の輻射熱(輝度)が高くないこと。である。といっても普通の灯油でもこれらの品質をクリアすることはそれほど難しくない。
しかし、FT反応で作られる灯油は低温での結晶ができやすいという難がある。パラフィンには下の図のようにノルマルパラフィンとイソパラフィンがある。ノルマルパラフィンは炭素が一直線に繋がっているのに対して、イソパラフィンは枝分かれがある。
低温で結晶ができやすいのはノルマルパラフィンである。通常の灯油はイソパラフィンが含まれているため、低温でも結晶化しにくいが、FT合成で作られたパラフィン系灯油はそうではない場合がある。
そのため、アネックス1では、パラフィン系灯油を作ったあと、ノルマルパラフィンの一部をイソパラフィンにする異性化という操作が必要となる。これで結晶析出の問題は解決する。次の要件である、安定性や輝度については、特に問題にならないであろう。
もうひとつ問題に気付かれた方もおられるかもしれない。FT合成の原料である一酸化炭素と水素を石炭から作るのならこれは持続可能とは言えないのではないかという疑問である。確かにそのとおりだ。ただASTM D7566は合成ジェット燃料の規格なのだから、規格としては持続可能であるか、そうでないかは関係ない。しかし、規格上石炭を使っても問題ないが、SAFと称するためには石炭や天然ガスのような化石燃料を使ってはまずいだろう。
ではどうするか。原料として考えられているのはバイオマスやCO2を原料とすることだ。バイオマスとしては都市ごみ(MSW)や農業・森林廃棄物、木材、草本類のようなものが想定されている。これを石炭の代わりに蒸し焼きにして一酸化炭素と水素を発生させる。
もう一つの方法は、空気に含まれるCO2を回収してシフト反応という反応によって一酸化炭素を作り、一方、水素は水を再生可能電力によって電気分解して作る。これなら、作られたSAFは燃やしても、もともと空気中にあったCO2を原料としてるので、空気中のCO2の量を増やさない。
ただ、空気中に含まれるCO2は400ppmほどしかなく、とっても希薄なので、これを回収するのは大変なことだ。そのため、空気ではなく火力発電所や工場の煙突から出てくる排気ガス中のCO2を回収する方法が、現在のところ盛んに研究されている。ただ、発電所や工場から出てくるCO2は化石燃料から出てくるものなので、本当に持続可能といえるのかどうか疑問である。
現在、アネックス1のSAFについてはフルクラム・バイオエナジー社、レッドロック・バイオフュエルス社、シントロリウム社などが開発している。フルクラムは都市ごみを、レッドロックは廃木材を原料としている。シントロリウムはそもそも石炭や天然ガスからFT反応で液体燃料を作る技術を持っている会社であるから、その技術を使ってバイオマスからSAFを作る技術の開発を行っている。
アネックス2 水素化処理したエステルおよび脂肪酸から作られた合成パラフィン系灯油
アネックス2として掲げられた合成ジェット燃料は、エステルおよび脂肪酸を水素化処理して得られるパラフィン系灯油とされている。水素化処理やパラフィンの意味についてはアネックス1で述べたとおりである。アネックス1ではFT反応で得られるパラフィンワックスを水素化処理していたが、アネックス2ではパラフィンワックスではなくて「エステルおよび脂肪酸」を水素化処理して得られる灯油ということだ。
では、エステルおよび脂肪酸とは何か。エステルというのはエステル結合を持つ有機化合物の一般名称で、多くの種類がある。アネックス2ではエステルならどんなものでもいいと言っているのだろうか。例えばエステルとして代表的なのが酢酸エチルという物質であるが、こんなもんを水素化処理しても、とてもジェット燃料になるとは思えない。
ここでいうエステルとは、実はどこにも書いてないのだが、脂肪酸のグリセリンエステルと解釈したい。脂肪酸グリセリンエステルというのは植物油や動物の脂肪の化学構造をちょっと難しく言ったものだ。SAFの原料としてよく使われるのが、ナタネ油や大豆油、パーム油などの植物油である。この植物油をアネックス2ではエステルといっているのだろう。また、脂肪酸というのは、この植物油を酸や酵素を使って分解(加水分解)すれば簡単にできてくる物質だ。
つまり、アネックス2は簡単に言えば、植物油を水素化処理して得られる灯油ということである。既に述べたように、植物油はグリセリンと脂肪酸がエステル結合したもので、これを水素化処理すると、まずグリセリンと脂肪酸に分離する。そしてグリセリンはもっと水素化されてプロパンになる。プロパンというのは、家庭やレストランなどで煮炊きに使うあのボンベに入ったやつだ。
脂肪酸というのは二重結合や酸素分を含んでいるが、これは水素化によって二重結合がなくなり、さらに酸素分は水になって分離される。その結果、脂肪酸はパラフィンという炭化水素になる。脂肪酸の炭素数は16個や18個のものが多いので、これは灯油の炭素数とほぼ同じである。つまり、脂肪酸は水素化されるとパラフィン系の灯油となる。あとはアネックス1と同様に、異性化を行って析出点を改善してやればジェット燃料として使えるということになる。
アネックス2のSAFを開発しているのは、ネステ社、ワールドエナジー社、ハネウェルUOP社などがある。いずれも植物油を水素化処理してSAFを作っている。なお、植物油というのはてんぷら油のことであるが、調理に使ったあと回収した油、つまり廃食用油でも原料とすることができる。
アネックス3 水素化処理した発酵糖から作たれた合成イソパラフィン
一般に酵母菌を使って糖類を発酵させるとバイオエタノールができてくる。つまりお酒の造る方だ。しかし、ある種の酵母はエタノールではなくてファルネセンと呼ばれる有機物質を生成する。このファルネセンは炭化水素で炭素数は15個であるから灯油(ジェット燃料)とほぼ同じである。
ただ、二重結合を含むので酸化安定性が悪い。だから、水素化処理して二重結合を潰してパラフィンにしてやろうというのが、アネックス3である。こうやってファルネセンを水素化処理したものは、もともとイソパラフィンになるので、アネックス1やアネックス2のような異性化処理をする必要がなく、そのままジェット燃料として使えることになる。
この方法はアミリス社が開発し、トタール社と共同で2014年にASTMに申請して認証を得たものである。しかし、現在アミリス社はSAFの製造を行っていない。ファルネセンは肌を潤す化粧品としての効果があり、ジェット燃料よりも、おそらく何百倍も高い値段で売れる。このことに、アミリスは気づいたのであろう。
今回はASTM D7566 のアネックス1から3までを解説した。残りのアネックス4から7までは、また次回、説明したい。
未来のジェット燃料SAFとはなにか ASTM D7566 アネックスを少し詳しく解説(後半)
2023年6月11日
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