そこは、ホテルから徒歩で15分ほどの場所にあった。7月のホーチミンは当然暑いので歩く距離が短いのは助かる。ホーチミンの道路はハノイと同様にバイクであふれているうえ、信号機が少ないので(信号機があっても無視するバイクも多いので)、道を渡るのでさえ大変である。
向かうのは統一会堂という建物である。カウンターパート企業の人にホーチミンで行っておくべき場所を聞いたら、まずこの建物に行きなさいということだった。で、仕事の合間に少し時間ができたのでそこに行ってみることにした。生粋の北国生まれである博士は、暑いのは苦手だとおっしゃって、エアコンの効いたホテルでお休みである。
ホテルから歩いて5分ほどのところに有名なベンタイン市場がある。その市場の横をとおりぬけるとすぐにフェンスに囲まれた広い敷地に建つ建物が見えてくる。これが統一会堂である。
この建物は、ベトナム戦争終結までは大統領官邸として使われていたが、現在は博物館になっている。入口で入場料を払って中に入る。中はエアコンが効いていないから、あいかわらず暑い。汗を拭きながら内部を見て回る。中は豪華で、大統領執務室や大統領が訪問者と会見した場所、食堂、大広間などがある。
ただし、これは地上の風景であり、地下に行くと一変する。地上階が大統領の公式行事を行う豪華な部屋が連なっているのに対し、地下は米軍の作戦室や通信室など、米軍の作戦本部のようになっている。
北ベトナム軍が攻めてくると大統領は地下に避難するのだが、地下の大統領室は地上の豪勢な執務室とは全く異なり、窓のない8畳ほどの部屋に粗末な机が置かれ、電話が一個乗っかっているにすぎない。この部屋を見ただけでも、当時の大統領がアメリカの操り人形に過ぎなかったことが分かるだろう。「戦争はアメリカがやるから、あんたはここでじっとしてなさい」てな具合だったのだろうか。
やがて北との泥沼のような戦争に嫌気をさした米軍は撤退し、南ベトナムの大統領は身を守るための後ろ盾を失った。北ベトナムは米軍から奪ったジェット戦闘機で大統領官邸を爆撃。大統領は話し合いによって戦争を終結しようと提案したが、当然のことのように無視され、ついにその日、2台の北ベトナム軍の戦車がフェンスを破って大統領官邸に侵入した。これによってベトナム戦争は終結した。いわゆるサイゴン陥落、1975年4月30日のことである。
その2台の戦車と官邸を爆撃したジェット戦闘機が今でも統一会堂の庭に保管されている。2台の戦車のうち1台はソ連製、もう1台はベトナム製である。
この統一会堂を見て私が感心したのは、内部の展示にアメリカに対しての恨みごとや非難が一切ないことである。大統領官邸と地下の司令部がそのまま残されており、当時の写真と状況の簡単な説明があるだけなのである。
アメリカはわざわざ地球のほぼ反対側まで55万人に達する軍隊を送り込み、北ベトナム軍100万人以上を殺した(ほかに行方不明者は60万人)。一方、彼らが自国に逃げ帰るまでの間に、米軍、南ベトナム軍合わせて180万人が殺され、あるいは行方不明者となり、さらに悲惨なことにベトナム民間人に450万人の死者がでた。
アメリカは何も得るものがなく、ただ大量のベトナム人を殺りくし、自らも大量の若者を戦場で死なせたという事実だけを残して撤退した。なぜアメリカは他人の家に入り込み、土足で踏み荒らすような無益な戦争を始めたのだろうか。
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後日、ベトナムの若者を日本に連れて行ったときの話をしよう。
博士と私は、かれらを東京駅周辺のビル街に案内した。このときかれらの一人がこう言った。「日本はアメリカとの戦争に負けたのに、こんなに発展している。ベトナムも負ければよかった。」と。もちろん馬鹿言うんじゃないよとたしなめたけれど。
またある時、かれらを沖縄の平和祈念公園に連れて行った。ここは悲惨な沖縄戦で犠牲になった人々のすべての名前が、日本軍、米軍、民間人の区別なく、石碑に刻まれている。これをみた彼らの一人がこう言った。「戦争には勝者はないよ。どちらも敗者だよ」
また、別のベトナム人を連れて、広島の原爆資料館を訪れた。その時、かれらは1時間以上もかけて展示物をとっても熱心に見た。そのあと、かれらは何も言えなかった。ただ悲しい顔をしただけだった。
そう戦争に勝者はいない。すべてが敗者なのだ。戦争に勝ったからその国が豊かになるわけでもないし、負けても豊かになる国もある。時を経れば何のための戦争だったのか分からなくなる。ただ多くの犠牲者を出すだけである。にもかかわらず人間は戦争をする。
もう一度、統一会堂の展示を見る。そこには米国に対する恨みも、戦争に勝ったことへの奢りもない。どこかの国のように、自分の国が戦勝国であると声高に叫んだり、相手の国に謝罪を要求し続けたり、再び戦争をして領土を取り返そうなどと言うこともない。
ベトナム戦争を終結に導いた功績で、ベトナムのレ・ドクトと米国のキッシンジャーはともにノーベル平和賞を贈られることになった。しかしキッシンジャーはベトナム戦争を始めた人物でもある。「火をつけて消してノーベル賞」と揶揄された。そしてレ・ドクトは賞を辞退した。歴史上、ノーベル平和賞を辞退した唯一の人物だそうである。
2019年12月1日
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