再びチキンレース
翌日、博士と私は、また来た道をダナンに向けて帰ることになった。ただし、帰りは取引先のSさん(日本人)との3人旅になった。Sさんもクワンガイは初めてで、私たちより1日遅れてやってきたのだ。Sさんもダナンからタクシーでやってきたのだが、当然のことながら、私たちと同様にチキンレースで経験をすることになった。それで死ぬような目にあったので、もう二度とクワンガイには来たくないとおっしゃる。
二度と来たくないとおっしゃるのは結構だが、といっても来た道を帰らなければ日本に帰ることはできないし、一旦クワンガイを出なければ、もう二度とクワンガイに来るも来ないもない。ただし、同じ道を帰るわけだから、来た時と同じようにチキンレースで死ぬような目に会うかもしれない。それは覚悟しなければならないのだ。
そこで、私たちはホテルに、「できるだけ性格の穏やかな運転手」のタクシーを頼むことにした。
タクシーがホテルの玄関に着くと、荷物をトランクに入れ、博士が助手席に座り、後ろの席にSさんと私が座って、いざダナンにむけて出発である。この席順になったのは、まず、チキンレース恐怖症のSさんを少しでも恐怖の少ない後ろの席に座らせた。これは当然である。そして私が助手席に座ろうとしたのだが、博士が助手席がいいと頑としてきかない。まあそういうわけで、こんな席順になった。
タクシーの運転手は確かに気さくで穏やかな性格の人である。英語は全く通じないが、いつもにこにこして、荷物の出し入れを手伝ってくれたり、喉が渇いていないかとミネラルウォーターを差し出してくれたりもする。
それはそれでいいのだが、タクシーが走りだしてすぐわかったことは、運転手の穏やかな性格と運転の荒さはあまり関係がないということである。結局、帰りの道も来た時と同じように3時間のチキンレースに参加させられる羽目になってしまった。
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博士が上着を脱がないわけ
ところで、博士はいつも背広の上着を着ている。私たちの乗るタクシーは北に向かって走っているのだが、この時期、太陽は北にある。日本では太陽は南にあるものと決まっているが、熱帯地方ではそうではない。季節によって太陽は北だったり南だったりすることを気づいておられる方は少ないのではないだろうか。ベトナムは北回帰線よりも南に位置しているが、この時期、太陽は北回帰線、つまり台湾付近にいる。だからベトナムから見ると太陽が北側に見えるのである。
という理屈はさておき、タクシーが北に向かって走しっているということは、正面から日光が差し込んでくるということである。前の席に座って、かつ背広姿の博士は当然、暑い。しかも博士は生粋の道産子だから、暑さにはからっきし弱い。「博士、背広を脱いだら如何ですか。」と勧めるのだが、しかし、博士は絶対に背広を脱ごうとしない。「これには理由があるんですよ。」と博士はおっしゃる。
博士はよく忘れ物をするらしい。海外に行くことが多いのだが、あっちにこれを忘れ、こっちにそれを忘れ、てな具合で、日本に帰った時には出かけたときよりも携帯品の数がずいぶん少なくなっている。まるで「ウォーリーを探せ」状態だったそうである。(「ウォーリーを探せ」をご存じない方は特に気にする必要はありません。)
そこで、博士は一計を案じ、海外に行く時は携行品を背広のポケットに分類して持ち歩くようにしたそうである。パスポートはこのポケット、航空チケットはこっちのポケット、名刺類はあのポケット、お金はこのポケット、旅行カバンのカギはこっちのポケット、という具合にね。
そうすると、効果てきめん。忘れ物が劇的に減ったそうで、それ以来、博士は海外に行く時は、かならずこの方法を使うことにしたそうである。ただし、この方法は一つ欠点があって、そう、博士の場合は背広を脱いでしまうと、背広ごと忘れ物になってしまうのである。だからどんなに暑くても背広は脱がない。という状態になる。
かくいう私も、海外ではよく忘れ物をする。つい先日も本(地区センターで借りたやつ)をホテルのレストランに忘れそうになり、メガネケースを飛行機の小物入れに忘れたまま降機してしまったりした。いずれもあとで気がついて、なんとか取り返したが、海外で忘れ物をすると大変である。
海外でパスポートをなくした話
実は、私は海外でパスポートをなくしたことがある。
ブラジルのサンパウロである。市内をいろいろ回ったあと、ホテルについてからポケットを探すとパスポートがないことに気がついた。このときは商社の人と一緒だったので、あわててその人に相談すると、一緒にサンパウロ市内を探しまわってくれた。この商社の方には迷惑をかけてしまった。本当に感謝である。
しかし、どこでなくしたかは大体分かっていた。市内ショッピングモール内にある両替屋である。一番にそこに行ってみたのだが、すでに閉店してシャッターが閉まっていた。ショッピングモールの警備に事情を話したが、明日までシャッターを開けることができないという(ご存知のとおりサンパウロの治安は最悪なので仕方がないのだ)。
結局、その日はホテルに帰って、翌朝を待つことにしたが、不安でよく眠れなかった。外国でパスポートをなくすということがどんなに不安になるものか。なくしたものでしかわからないだろう。
翌朝、また商社の人と一緒に、両替屋を訪れたら、ちょうどシャッターが開くところだった。やがて中の事務所からおじさんがでてきた。でも、そのおじさん携帯電話で話に夢中だったから声がかけられない。あの~と声をかけてみたが、こちらをちらりと見て、無視にするように、そのまま事務所にひっこんでしまった。あ~。
いらいらしながら待つこと、1分あまり(長い1分間だった)。また、そのおじさんが携帯でだれかと話しながら、事務所から出てきた。あっ。おじさんの手に赤いパスポートが握られているではないか。
おじさん、にっこり笑って、これだろうというようにパスポートをひらひらさせる。そうだそうだと頷くと、パスポートを片手で開いて(もう一方の手は携帯を持っているので)、写真と私の顔を見比べてから私に返してくれた。このときは本当にほっとした。
携帯のおじさんに感謝、感謝。オブリガード、オブリガートと礼を言って、両替屋からでてきた。おじさんもにこにこ笑って、手を振ってくれた。そのあいだずっと片手に携帯をもって、だれかと話していたけれど。
車内でこんな話をしながら、また3時間のチキンレースをしてダナンに戻り、ダナンからベトナム航空機でハノイへ。ハノイでカウンターパートの企業に行ってクワンガイでの仕事のいきさつを報告した。
ビールで生き返る
これでようやく、今回の訪越の主なスケジュールが終わったことになる。仕事も終わり、博士がビールでも飲みに行こうよと言って連れて行ってもらったのが、ソフテルという有名なフランス系のホテルである。
一般にベトナムでビールを注文すると、缶ビールとグラスと氷が出てきて、ビールに氷を直接入れて飲めという方式である。でも氷でお腹を壊すといけないので、私たちは生ぬるいままのビールを飲むことになる。
しかし、ソフテルでビールを注文すると、よく冷えたビールがおしゃれなグラスに注がれて運ばれてきた。さすが一流ホテルである。博士と乾杯して、久しぶりのよく冷えたビールを飲むと、プファ~と生き返ったような気持ちになった。博士がずっと背広を着続けているのは、忘れ物対策というのは口実で、実はこの楽しみためなのではないだろうか。
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