トラブル、トラブル @ダナン→クワンガイ・ベトナム

旅にはトラブルがつきものである。パック旅行ならトラブルが起こっても添乗員におまかせすればいいことだし、定番の観光コースを決められたように行くだけなら、そもそもそんなにトラブルも起こらないだろう。(添乗員は大変だと思うけれど)しかし、わたしたちのようにビジネスで海外を旅行している場合はそうはいかない。

事前にちゃんと計画していても、必ずと言っていいほど何らかのトラブルが発生するし、行く所自体があまり日本人が来ないような場所なのでトラブルも多い。当然ながら、トラブルが発生した場合は、自分たちで解決しなければならない。経験豊かな添乗員にお任せというわけにもいかない。

今回、博士と一緒にベトナムを訪問したのは7月であった。前回が5月だったので、わずか2か月後に再びベトナムの土を踏んだことになる。最初に訪問したのはハノイだけ、2回目はハノイとダナン、クワンガイ。今回は訪問先としてホーチミンが加わって、行程が長くなり、かつ複雑になった。にも拘らず、準備期間が2か月しかなかったので準備不足もあったのだろう、3度目の訪越ということで若干気の緩みもあったのだろう、致命的ではないが、様々なトラブルに巻き込まれることになった。

今回も私たちはインチョン経由でダナンに到着した。そこまでは順調だった。しかも成田インチョン間では、席が開いているからと追加料金なしでファーストクラスの席を使わせてもらうという幸運もあった。成田インチョン間はたったの2時間だけど、大会社の社長かセレブにでもなったような気分を味あわせてもらった。

ダナン空港には夕方到着し、そこからタクシーでその日の宿に向かうことにした。タクシーの運転手にはグリーンプラザという今晩泊るホテルの名前を告げ、さらにホテルの宿泊予約表まで見せた。予約表は英語だけど、ベトナムはアルファベット表記の国だからわかると思ったのだ。運転手も、わかったわかったというように頷く。あとで何度も経験したことだが、ベトナムでは、このわかったわかったが曲者なのだ。

やがて博士と私を乗せたタクシーは順調に走りだした。グリーンプラザは前回も泊ったところで、空港から10分ほどで着く。ところが、どうも方向が違う。前回通ったことのない大きな橋を渡り始めたので、次第に不安になってきた。運転手に、また宿泊予約表を見せて、ホテルの名前を告げると運転手もにこにこ笑ってわかったわかったと頷く。(おいおい大丈夫か)

結局30分ほど走って到着したホテルは見事に間違っていた。グリーンプラザではなく、クラウンプラザだったのだ。クラウンプラザはビーチ沿いの高級リゾートホテルである。きっとベトナムにファーストクラスで乗ってくるようなセレブが泊るのだろう。こんなホテルに一度は泊ってみたいねと博士と頷き合ったが、如何せん予約していたのはもっと庶民的なグリーンプラザである。成田インチョン間でファーストクラスの席を使わせてくれたように、部屋が開いているので追加料金なしでこのホテルにお泊まりくださいなんてことはないよね。

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クラウンプラザの門番は幸い英語がわかったので、タクシーの運転手にグリーンプラザに行くよう、通訳してもらって再びタクシーは走りだした。なるほど高級ホテルは門番まで違うのだ。

また30分ほどかかってタクシーは、ようやくグリーンプラザという、我々のレベルに見合った、そこそこのホテルに到着した。でも博士がタクシー料金を払わないと言い始めたことから話がややこしくなった。

つまり、空港からこのホテルまでは本来10分ほどの距離なのであるが、間違ったホテルに行くまで30分かかり、またそこからこのホテルまで30分ほどかかったので都合1時間ほどタクシーに乗っていたわけである。その間中、タクシーのメーターは動いていた。タクシーの運転手がそのタクシー代を払えと言ったので、博士がそんな料金が払えるかと怒ったわけである。

空港からこのホテルまでの通常料金を教えろ。その料金しか払わん。と博士はおっしゃるが、如何せん言葉が通じない。運転手も困った顔をする。もう夜も遅いし、疲れているから私は早く部屋に入って寝たい。しかもベトナムはタクシー代がとっても安く、せいぜい数百円のオーダーである。

「いいえ。運転手はわざと間違えたふりをして、われわれを別のホテルに連れて行き、料金をふんだくろうという腹に違いありません。こんなことを許していてはベトナムの発展をさまたげるんですよ」と博士はおっしゃる。博士は常にベトナムの発展を願っておられる。

やがてホテルから人が出てきて仲介に入ってくれた。博士と運転手が交渉して、ホテルマンが英語で通訳してくれるがホテルマンの英語もかなり怪しい。結局、どうなったかはよく分からなかったが、最後に博士がにこにこしながら、運転手の肩をたたいて握手して、交渉終わり。運転手も最後は笑っていた。結局、ほとんど運転手の金額を飲んで決着したらしい。

翌日は朝早くホテルを出発して、また3時間のチキンレースをしてクワンガイの訪問先に到着した。チキンレースは経験済みなので、相変わらず怖いのは怖いが、だいぶ慣れてきた。

ダナンからクワンガイへの道の途中にある世界遺産の街 ホイアン

しかし、今度は訪問先の工場で問題が発生した。事前にその工場に行くことは博士から連絡しておいたはずなのに正門の受付の女性が聞いていないという。受付の女性はまだ若いお嬢さんなのだが、社会主義国らしくカーキ色の軍服を着ていて厳めしい。肩には黄色や赤の肩章まで付いている。書類を見ながら、にこりともしないでベトナム語で何か言っている。ベトナム語は分からないが「リストにないので入門は許さん」と言っているようだ。

受付で入門証をもらわないと入門することすらできない。工場内の担当者に電話で聞いてみてくれと頼むのだが、この軍服を着た女性も英語が分からずさっぱり話が通じない。そうこうするうちに、ほかの訪問者が来たので、彼女はそちらの手続きを始めて、我々は完全に無視されてしまった。炎天下である。私たちは重たい旅行カバンを抱えて途方にくれてしまった。

そのとき、「どうしたんですか」と英語で声をかけてくれる人がいた。その工場に出入りする取引先のエンジニアだという。天の助けとはこのことだ。そのエンジニアに英語で事情を話すと、ベトナム語で受付の女性に交渉してくれる。女性が工場内の担当者に電話を入れると、すぐに担当者が飛んできて、私たちはようやく工場に入ることが許された。やれやれ。

通訳してくれた出入りのエンジニアに丁重に礼を言うと、日本の企業とはいろいろと取引があって、お世話になっているんですよとにこにこしながら言ってくれる。感じのいい人だ。この人がいなかったらどうなっていたんだろうと思う。

2019年10月15日

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