種のできないヒガンバナはなぜ日本中に広がったのか 水と陶磁器がかぎ?

ヒガンバナが咲く季節となってきた。ヒガンバナは田んぼの畔(あぜ)や河原、農家の庭先などに突然、茎をのばして、真っ赤な花を咲かせて驚かせてくれます。

ヒガンバナは球根植物。花は咲くが種はできないので、球根で増えるしかない。球根は分球しても、そのままではその周辺だけに広がって行くことしかできない。にも拘らず、この植物が北海道、東北を除く日本全国に分布しているのはなぜなのだろうか。考えてみれば不思議である。

人間が植えたものではない

よくいわれるのが、人間が田んぼの畔(あぜ)に植えたという説である。これはヒガンバナの球根が食用になるので、飢饉の際に掘り起こして食べるため。あるいはモグラの害を防ぐためという。しかし、この説はかなり疑わしいと思う。

まず、ヒガンバナにはかなり強い毒性がある。水に晒せば毒はなくなるというが、どこまで晒せば完全に毒を消せるかはっきりしない。水にさらして毒はもうないので食べてみてと言われても、食べられるものではない。

特に飢饉で栄養状態のよくないときに、中毒をおこせば命取りであろう。救荒作物として植えるのなら、わざわざ毒のあるものを植えなくても、毒性のない、収穫量の多いイモ類とか豆類を植えるはずである。

私が子供のころ、近くの水田の畔には大豆が植えられていたのを覚えている。これなら当然、食用となるし、カロリーも高い。農家の副収入ともなるだろう。飢饉で米が不作となっても大豆を食料とすることができる。わざわざ毒のあるヒガンバナを植える必要があるとは思えない。

モグラ対策として毒のあるものを植えたという説もある。しかし、モグラは肉食だから球根は食べない。また、モグラ除けという効果があるのなら、どの畔にも植えられているはずだが、生えている畔と生えていない畔があって、生えていない畔が特にモグラの被害が多いということも聞かない。

そもそも人為的に植えたのなら、規則正しく植わっているはずだ。実際にはまばらに植わっているので、どうみても人間が意図的に植えたとは考えにくい。

種で増えない植物なのに、これだけ人家の近くに繁茂しているのだから、誰かが何かの目的があって植えたと考えたくなるので、こんな説が出てくるのだろうが、わざわざ人間がヒガンバナを植える意味が見当たらない。

ヒガンバナは人間が球根を植えなくても、生息域が広がる要因は他にある。ここでは、球根が水に流されたことと、陶磁器と一緒に広がったという二つの理由を挙げたい。

ヒガンバナは葉より先に茎が出て花がひらく

水に押し流された

水田は水を張って稲を植えるので、正確に水平でなければならない。しかし土地には高低差があるので、水田には畔を作って、段差を設けている。このため、日本の農地には畔がよく発達しているわけであるが、ヒガンバナはこの畔に生えていることが多い。

畔は、ただ土を盛って作っただけの物なので壊れやすい。大雨が降った時や、人が上を歩いた時などに畔は壊されることがあるし、そうでなくても雨風や日照による乾燥、霜柱、雑草の根の成長などによって少しずつ壊れていく。

だから、農民はときどき田んぼの土を鍬ですくって、畔の上に盛り上げる。この地道な作業によって水田が維持されているのだ。

ヒガンバナは畔で成長し、成長するとその球根はいくつかに分かれていく。つまり分球だ。畔が壊れると、この畔で育ったヒガンバナの球根は土と一緒に水田の中に落ちてしまうことになる。

やがて農民が畔の修理のために土をすくって畔の上に盛り上げるから、分球した球根も畔の上に持ち上げられてそこで成長することになる。こうやって、ヒガンバナの球根は畔に沿って広がって行くことになる。

また、水田に落ちた球根の一部は水の流れに乗って、水路を通って下の段の水田に流れ込むこともあるだろう。そうすれば、下流の水田にもヒガンバナは広がることになる。最終的に球根は川に流れ込むから、河岸に流れ着いた球根がそこで成長する。ヒガンバナが河岸に集落を作っていることがあるが、それはこのためだろう。

つまり、ヒガンバナは種を作らないからといって、人間が何かの意図をもって植えていかなければ、生息域を増やせないということではない。球根は分球し、その球根は農作業や水の流れに伴って自然に生息域を広げていくことができるのだ。

ただし、そうするとヒガンバナの生息域は川下に向かっては広がって行くが、その流域以外には広まらないことになる。その流域以外にも広がっているのはどうしてなのだろうか。つまり、最初の一株はどうしてそこに来たのかということである。それは、ヒガンバナの球根が陶磁器と一緒に運ばれていったというちょっと大胆な仮説を立てたい。

陶磁器などと一緒に運ばれた

もともとヒガンバナは中国原産の植物である。これが有史以前に稲作と共に日本に持ち込まれたと言われているが、実際に文献に現れるのは室町時代以降のことである。これだけ目立つ花が万葉集にも源氏物語にも枕草子にもほとんど出てこないという。ということはヒガンバナが各地に広まったのは、室町時代以降なのだろう。

室町時代は日明貿易(勘合貿易)として中国との交易が盛んになった時期である。おそらく、これらの中国との貿易品に混ざってヒガンバナも運ばれてきたのだろう。現在でも鉄道線路周りには帰化植物が繁茂しているのを見かけるが、これは輸入貨物に付着して運ばれた種や球根が輸送の途中でこぼれて発芽したものだ。

ヒガンバナは湿地を好む植物である。原種も多分中国内の湿地帯に自生していたであろう。湿地は同時に水田に向いている土地でもある。そのため、ヒガンバナが自生している土地に水田ができ、イネとヒガンバナが共存している環境がつくられていただろう。

当時、中国から日本に輸入されていた品目は銅銭や生糸、織物、陶磁器、仏教経典、香料などであるが、特に陶磁器は破損しやすいので稲わらがパッキング材として用いられていたと考えられる。そして、その稲わらにヒガンバナの球根が紛れ込んでいたとしても不思議ではない。

こうやって日本に運ばれた稲わらはパッキングとしての役割を終え、廃棄されることになるが、稲わらは発酵すればこやしとなる。そのため、稲わらは田んぼにすき込むのが理にかなっている。そのとき、ヒガンバナの球根も一緒に田にすき込まれただろう。

やがて秋になると、田んぼの中の稲に混じってヒガンバナが茎をのばして赤い花をつける。もちろん、稲作にとって雑草である。しかもよく目立つから、農民はこれを見つけ次第、球根ごと引き抜いたであろう。引き抜かれたヒガンバナは持ち帰って廃棄する必要もないから、そのまま田んぼの畔に放置される。その結果、ヒガンバナは畔で成長し、毎年花を咲かせることになる。

また、室町時代以降、日本でも中国陶器の影響を受けて高級陶器が作られるようになった。瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前など、現在にも続く窯元が現れたのはこのころである。そして、これらの窯元で作られた陶器は全国に流通することになる。

このような陶器を輸送するときも、破損を防止するためにパッキング材が必要だが、これにももっぱらワラが使われていたようだ。実際、昭和40年頃まで、陶器のパッキングには稲わらが使われていたという。このような稲わらのパッキング材にはヒガンバナの球根が混入することもあったであろう。

そして、陶磁器は日本各地に送られて行き、そしてこの稲わらのパッキング材に混入する形でヒガンバナの球根も各地に送られていったのではないだろうか。

ちなみに、この陶磁器のワラ梱包については、窯元により、あるいは陶磁器製品の種類によって、実に様々な形態があるようで、九州産業大学名誉教授の宮木慧子(みやきけいこ)博士が詳細に調査を行って報告されている。

もちろん、稲わらはパッキング以外にも実に様々な用途に使われてきた。縄や草鞋(わらじ)、蓑(みの)、藁屋根、壁材、燃料、飼料、堆肥などである。

ヒガンバナの拡大に関わったのは陶磁器用のパッキングだけではないかもしれない。
同じくワラ製品である畚(もっこ)は土砂などを運搬するのに使われた。当然ながら、土砂の中にはヒガンバナの球根も含まれていたであろう。

俵は、米だけでなく、海産物やイモ類、炭などの運搬にも使われ、陶磁器ほどではないが、かなり広い範囲に運搬されたであろう。筵(むしろ)も農家の副業として作られ、これも広く流通していた。

これらのワラ製品の中にヒガンバナの球根が紛れ込んでいても不思議ではない。そして、これが重要な点であるが、これらの製品が廃棄されるときには、いずれも田んぼにすき込まれて処分されるのである。そして、このとき、ヒガンバナの球根はこの新しい田んぼに定着することになる。

まとめ

ヒガンバナは球根植物で、種ができないのに、なぜ日本の広範囲に広がったのか。それは、水田を形成するのに必要な畔作りという地道な作業に伴って増えて行った。

あるいは、陶磁器の運搬のように稲わらを様々に加工して運搬具として使用したことから、これに混じって広がって行ったと考えられる。

人間が意図して植えたわけではないが、人間がその生育域の広がりに手を貸していった。このことが、この植物が人家近くに特に密集している理由であろう。

また、ヒガンバナは、それが毒を持つことや真っ赤な色合いからも不吉な花とされ、触れることもためらわれた。そして、畔や河原に生えている限りは農作業に支障もないことから、特に駆逐されることもなかったのであろう。

水田と畔を維持する日本農業の特徴と、副産物であるワラを無駄にせず有効利用し、最後にはこやしにしてしまう循環型経済社会。今でいうところのサーキュレーションエコノミー。これらのことがヒガンバナが全国に広がった理由であろう。

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