SDGsはエコじゃない? なんでこんな見当違いの批判をする人がいるのか

SDGsの誤解

最近、SDGsという言葉をよく聞くようになってきた。SDGsに取り組んでいますという企業広告を目にしたり、電車の中でもSDGsのバッジを付けた人を見かけたりする。しかし、ネット上では結構批判する人たちがいる。例えば以下のような批判である。

「SDGsはエコじゃない」、「胡散臭い」、「昔からある考えで今さら」、「きれいごとにしか見えない」、「やっているのは日本だけ」、「陰謀のにおいがする」、「持続可能と開発は矛盾する」等々。

単にSGDsが何かをよく知らない理解不足の批判も多いように思われる。ちゃんと理解すればこのような批判は少なくなるのではないだろうか。

特に、SDGsはエコじゃないというような、エコや地球環境問題と絡んだ批判が多い。例えば、「SDGsは電気自動車を導入しようとしているが、火力発電でCO2が排出されているのだからエコではない」いうような批判である。

あるいは、SDGsを単なる節約とかもったいない運動とかと同義と考えて、そんなものは以前からある。いまさら何をいうのかというような批判もある。SDGsには確かにエコや環境問題、資源の節約なども含まれるが、それはSDGsの一部であり、そのものではない。

SDGsとは

SDGsとは、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)の略。2015年の国連サミットで採択された、持続可能でよりよい世界を目指す国際目標のことである。SDGsは地球上の「誰一人取り残さない」ことをモットーに、17のゴール・169のターゲットから構成されており、達成目標は2030年である。ただし、この運動に関する義務や罰則はない。

この17のゴールはお馴染みの以下の図で示されている。

この図から分かるとおりSDGsは環境問題に特化したものではなく、様々な問題が取り上げられている。そしてその問題を解決するための開発を持続可能な形で取り組んでいこうというのが趣旨である。

持続可能な開発?

SDGsの大事なところは、今後2030年までに世界で取り組んでいくべき目標を決めたというところだと思う。ただし、その目標の達成は一時的なものではなく、持続可能でなければならないということだ。

ところが、持続可能というところで止まってしまって、多くの誤解が生じているのではないだろうか。持続可能と再生可能という言葉が混同されて、環境問題のひとつと誤解される。あるいは、エコな生活を強いるものと捉える人がいたり、気候変動問題を解決するためにSDGsがあるというような言い方をしたりする人もいる。

持続可能な開発とは何か。「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」と定義されている。つまり、現在だけでなく、次世代の人たちも満足できるように開発を行っていきましょうという意味である。現在が良ければ将来どうなってもいいという開発は持続可能とは言えないということだ。

さらに、この目標を達成するためには、三つの要素があるとされている。それは経済成長、社会的包摂(弱者をのけ者にしないで、社会全体を含むこと)、環境保全の調和を図ることの三つである。

このように、SDGsは環境問題に特化したものではなく、世界が直面する様々な問題を将来の世代にも配慮しながら、経済成長と環境の調和と社会全体の取り組みで解決し、豊かな未来を作って行こうという運動である。

SDGsはおとぎ話か?

SDGsは実現不可能で、おとぎ話だという人もいる。
例えば、飢餓をゼロにという目標を達成するには、農地を広げなければならない。そのためには森林を伐採するしかない。それは環境を破壊してしまうじゃないか。というような論調である。だからSDGsは矛盾だらけで達成不可能だと。

しかし、食料増産は森林を伐採して農地を広げるだけが手段ではない。サバンナや砂漠地帯のようにもともと農業に適さないところを灌漑して農地にしたり、今ある農地に近代的な農法を取り入れて食料増産を図ったりすることもできる。

例えば焼畑農業のように森林を燃やして農地にする方法では人口が増えた時には限界があるだろう。それなら定地農業に切り替えるという方法で、森林も保全できる。あるいは、土地に限界があるなら、そのほかの産物を開発して輸出し、そのお金で食料を輸入するという手もある。

これらの目標に取り組むことで、発展途上国は飢えや貧困などから脱却し、先進国はさらに製造者責任や、働き甲斐、エネルギー問題、海の環境問題、ジェンダー問題などにも取り組んでいく。気候変動対策だけが目標ではない。

持続可能と開発は矛盾するか

今後、発展途上国の開発が進み、世界中の人たちが先進国並みの豊かな生活を送れるようになることが理想であろう。ところが、それだけの資源、つまりエネルギーや水や食料がないという主張する人たちもいる。つまり、開発がすすめば必ず持続可能でなくなる。持続可能と開発は矛盾するとの主張である。

このまま途上国の所得が上がり、先進国並みの生活をするようになれば、確かに資源が不足するかもしれない。やがて資源が尽き、資源の取り合いという混乱が生じるだろう。だからSDGsはあり得ないという。しかし、もう資源がないので、発展途上国の人たちは、発展しないでくれと言えるだろうか。

幸いなことにエネルギーについては太陽光を使いこなせば、実は人類が使いきれないほど豊富にあるのだ。そして、エネルギーが豊富にあるのなら、海洋から真水を作り出したり、荒れ地を農地に変えて食料を生産したりすることもできる。いやいや雑草や空気中のCO2を原料にして食料を作り出すことも可能なのだ。

つまり、現在のままで開発が進めば、確かに資源不足という問題が起こるだろう。だからこそ、持続可能な開発が必要なのだ。持続可能と開発は矛盾するのではなく、やり方によって両立が可能で、そのようにしましょうというのがSDGsである。

世界中が無秩序に開発に進むのではなく、持続可能な開発を意識して進んでいけば、資源不足による混乱を防ぐことができる。むしろ、そのためにもSDGsつまり持続可能な開発が非常に重要な意義を持つことになるだろう。

2022年10月25日

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